2010年08月23日
菅原道真です



道真の死後、京には異変が相次ぎました。
醍醐天皇の皇子が次々に病死しましたし、さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出ました。
これらが道真のたたりだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に位を送りました。
子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返されました。
清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられました。
元々京都の北野の地には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷はここに北野天満宮を建立して道真のたたりを鎮めようとしました。
以降、道真を「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになります。
道真が生前優れた学者・歌人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになりました。